【コラム】AIと看護の未来 〜おじさんナースマンの回顧録〜

20XX年。僕のナースマン生活もだいぶ過ぎて、もうベテランになった。白髪も増えて、頭も薄くなり、シワも増えた。でも、僕の体の変化以上に、医療を取り巻く状況は大きく変化した。



思えば、僕が大学を卒業してから、医療界はだいぶ変わった。僕が看護学生の頃はまだ紙カルテが存在していたが、大学院生になる頃にはほとんど姿を消した。字の汚い医師や看護師の記録を読むのに四苦八苦したのは、既に遠い記憶の中だ。

電子カルテが導入された当初は、医師も看護師も、ナースステーションではパソコンとにらめっこ、診察でも入院時のアナムネでもパソコンとにらめっこ、患者からときどき「患者を診ずにパソコンばかり見ている」とクレームがきたものだった。

それでもしばらく経ってみんなが電子カルテに慣れると、大幅な業務の効率化が図られて、病院の患者回転率に大きく貢献したものだった。

今ではそんな時代が懐かしい。今はそれどころか、業務の大部分をAIが代替してくれている。

生体監視モニターで管理している患者のバイタルは、AIが判定した7段階のリスクレベルに応じて自動で計測して、カルテのフローシートに自動的に反映される。

体位変換も、かつてはみんな一斉に2時間ごとにやっていたのが、今では各患者のベッドに内蔵されたAIが同一部位の体圧を感知し、リスクレベルが基準値を超えた場合にのみアラートを出し、その都度体位変換をしている。

点滴の接続も、時間になるとアラートで教えてくれて、薬剤部から送られてきた棚から間違った薬剤を取ると、内蔵されたチップをカルテのAIが読み取りアラートを出してくれる。

看護記録も、ほとんどがスタンダードに則って記載するが、その患者に必要な情報が不足しているとAIがアラートを出して教えてくれるので、情報が抜けることは無くなった。

スタッフナースの働き方は、AIの出現によって劇的に変化した。今の子たちに、昔はダブルチェックで事故防止していたんだよ、と話したら、「間違いを犯す人間が1人から2人になったところで不確実ですよ」と笑われた。水銀柱の血圧計なんてもはや化石だ。「未熟な人が測ったら違う値かもしれないじゃないですか」と今の子たちは一蹴する。ごもっともだ。



師長の業務を激変した。

長年師長たちを悩ませてきたシフト管理も、AIが代替した。全てのスタッフナースの能力、行動傾向、家庭状況などを考慮した上で、その日の予測される患者数や検査、オペなどを計算してその月の最適のメンバーをAIが組んでくれる。

師長とメンバーの面談記録のテキストマイニングから、それぞれのメンバーの離職リスクまで計算され、最適なサポートも提示してくれるようになった。大学院生のとき、必死で離職を防止する研究をしていたが、AIがそのほとんどを解決した。

その昔、病院運営の細かい雑務を看護師が一手に引き受けていた。点数稼ぎになる書類の作成や退院調整の手配、リスクの管理など、看護師に託された役割は多く、そのぶんマンパワーも必要だった。

しかし今では、それらの雑務をほとんどをAIが担ってくれている。そのお陰で、看護師不足問題は既に時代遅れの問題となった。昔はベッド数に応じて看護師が配置され、診療報酬が決められていた時代もあった。7:1看護配置を取るために病院がこぞって看護師争奪戦を繰り広げたのも今では良い思い出となっているが、今時の看護師にとっては笑い話にすぎない。

ほとんどがAIに変わった今、看護師がやることはなんだろうか?変わらないことはなんだろうか?と考えたとき、患者を知ること、だと思う。

AIは判断はするが、情報は集めてくれない。情報を集める手段や技術も教えてはくれない。看護師にできて、AIにはできないこと、それは情緒的なケアリングの精神だと思う。

痛みがある患者に、AIは鎮痛薬を飲ませなさいと指示するかもしれない。だけど、その薬を渡すときに、「辛いですね。マッサージでもしてあげましょうか」といった、鎮痛剤の効果だけでない、情緒的なケアは看護師ならではの役割だと思う。

数十年前、医療現場にAIが導入されはじめた頃は、専門職が消えるのでは、と戦々恐々としたこともあった。だけど、AIは業務を効率化してくれただけでなく、「看護とは何か」「看護師の役割とは何か」という本質的な問いを僕たちに振り返る機会を与えてくれて、それを実践する時間も与えてくれた。

AIが導入されても、考えることがなくなるわけではない。むしろ、看護の本質を追究する、という看護師にとって究極の問いを考え続けるチャンスを与えてくれているのかもしれない。



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hugin: