「エビデンスはあるの?」「エビデンスは?」
このエビデンスという言葉、看護師として働いている中で、あるいは基礎教育の中で、誰しも一度は聞かれたことがあるのではないでしょうか?
また、「このやり方はエビデンスが無いのでやりません」と、エビデンスという言葉を使って先輩や上司と闘った(?)人もいるかもしれません。
この「エビデンス」という言葉、正しく理解しているでしょうか?また正しく使用しているでしょうか?
今回は、科学研究の分野での「エビデンス」とは何か、ということについての「キホン」を紹介したいと思います。
エビデンス(Evidence-Based Practice: EBP)とは何か
パイオニアであるDavid Sackettは、エビデンスを「良質な研究根拠と臨床的専門知識および患者の価値観との統合」と定義しています(Sackett et al., 2000)。つまりわかりやすく言うと、「良質な研究によって導かれた結果、かつそれが患者のニーズや大切にしていることと合致しているモノ」といった感じです。科学的研究による結果だけが「根拠」と認識されることも多いですが、それが「患者のためである」という視点も忘れないでね、というSackettのメッセージだと思います。
(※実際多くの科学的研究では、研究段階で「患者のため」という視点は含んでいるので、「良質な研究結果=患者のためになる(だろう)」と理解しても間違いではないでしょう。)
臨床現場では、EBP(Evidence-Based Practice)やEBM(Evidence-Based Medicine)といった用語が使われており、聞き覚えのある方も多いのではないでしょうか。EBPやEBMは、「良質な科学的研究に基づく臨床実践」のことで、単に経験やその場のノリで実践せずに、根拠に基づいて実践しましょう、ということです。
すべての研究は根拠になる?:エビデンスのレベル
では、良質な研究結果がひとつでもあればEBPの力強い根拠となるのでしょうか。
実はそうとも言えません。エビデンスにもレベルがあり、行われた研究のタイプ(正確には「研究デザイン」といいます)によって”根拠の強さ”のようなものが違ってきます。
なぜこのような違いが出るのかというと、ザックリ言うと「因果関係」が証明できているかどうかが重要となります。看護領域の研究で広く行われている質的研究や一回の調査票による横断研究は、出来事を記述したり関連は明らかにすることはできても「Xが原因でYが起きる」というような因果関係は証明できません。
しかし、例えばコホート研究やランダム化無作為比較試験といった研究は因果関係をある程度証明できるので、エビデンスレベルが高い研究、ということになるのです。
(それぞれの研究デザインの特徴については今回詳しく書きません)
ここで注意して欲しいこととして、エビデンスレベルの高さと研究の価値はイコールではない、ということです。質的研究だから価値が低いとか、複雑な統計解析をしているから価値が高いとか、そういうことではなくあくまでエビデンスレベルが高いかどうか、という違いしかありません。
エビデンスがない実践は無意味か?
では、エビデンスがない実践はすべて無意味だったり、するべきではないのでしょうか。
ここからは一研究者としての私見も含みますが、そんなことはないよ、と僕は思っています。
エビデンスの有無は確かに実践の中で非常に重要なことと認識しています。しかし、研究として明らかになっていないことや経験知の中にも、実践する上で患者にとって重要なことはたくさんあると思います。
例えば、熱が出た時のクーリングには解熱効果がないことが明らかになっています。だからといって「楽になるから頭を冷やしたい」という患者にクーリングを断るでしょうか?吐き気が強い患者に対し、エビデンスがないからといって背中をさすってあげたり、少し側にいてあげたりしないでしょうか?
こうした実践の中にある知恵のようなもので、患者のために少しでもなるのであれば、エビデンスがあろうとなかろうと実践するべきだと僕は思います。
現場で起きていることは非常に複雑で、その多くは研究という営みでまだまだ記述できていない現状です。エビデンスというものだけに依存して実践するのではなく、エビデンスへの正しい理解を深め、自分の実践知と融合させながらより良い患者ケアをしていくことが大切です。
我々研究者は、実践家が少しでも安心してケアを提供できるよう、実践知を収集してエビデンスを確立していくことが望まれています。