2021.8.5 誰のためにもならない小難しい戯言

まったく誰のためにもならないつまらない小難しいことを書こうと思う。

一応学者の端くれとして仕事をしているわけだが、僕の専門領域は社会科学と自然科学の間に位置していて、専門分野となると少し社会科学寄りに位置する。手法としてはどちらの領域の手法も使うし、理論なんかも簡単に飛び越えて応用したりする。
そんなこんなで最近見えてきたのが、いわゆる「文系脳」「理系脳」の違いだ。
基本的にこうしたレッテルを貼って分類すること自体、学者としてはあるまじき行為なのだが、研究を見ていてもその違いが見えてきて面白い。
文系的な学問、例えば文学、政治学、メディア学、歴史学、一部の社会学や法学は、出来事を後ろ向きに考察する。「後ろ向き」といっても、ネガティブな意味ではなく、時間軸と思っていただいて差し支えない。
出来事が起きた真の原因は何か?それを探求することが至上命題なので、「○○が起きた原因は●●だった」と結論する。
一方理系的な学問、医学や工学、理学、薬学、一部の看護学は、出来事を前向きに考察する。研究成果を公表してよくあるのが、「○○が起きた原因は●●だった」と結論付けると、たいてい「で?」と返される。つまりその知見が将来どのように社会を変えるか、現場を変えるかまで考察することを求められる。
皆さんも経験があるかもしれないが、人と議論していて微妙に話が噛み合わないことがあるのは、おそらくこの違いもあるのだろうと思っている。
どちらが良いとか悪いとかではなくて、学問的にそうなのだというところが非常に面白い。ただ、受け手としては文系学問は非常に高度なレベルが要求されているように思う。なぜなら、過去の出来事の因果関係までは明らかにしてくれるが、将来類似の出来事が起きたとき、過去の知見を活かすかどうかが試されているからだ。「歴史は繰り返す」というありふれたフレーズがあるが、これは社会科学(≒文系学問)の知見を受け手が活かすことができていないということに等しい。さらに言えば、社会科学が対象としているのは、物質の動きや細胞のメカニズムという「ヒト」ではなく、様々な文脈や心理、認知、精神性をもった「人」、さらにその集合体である「集団」や「組織」、あるいは「地域」や「国」を対象とするため、一貫した結論を導くことが困難で、その知見の解釈もさまざまであるためである。
とまあ、こんな誰のためにもならない小難しいことを考えているのだけれど、このご時世、こんな虫も食わないような話を話す飲み会などが全くないことが、小難しい学者にとってはちょっとだけよかったのかもしれません。

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