2021.5.19 キテレツ記事に騙されないで
昼食休憩をしながらネット記事を読んでいて、あまりにキテレツな記事でお茶をこぼしそうになったので、勢いで批判をしてみました。
批判と言っても、僕の思考や価値観で批判するのでは説得力に欠けるので、研究者らしく批判的吟味(クリティーク)をしています。
PVに貢献するのがいささか不服ではあるが、事前に当該記事を読んでおくと理解しやすいかと思います。
新型コロナワクチンへの妄信と強制が危うい理由 -東洋経済オンライン-
(以下、「・」は記事からの引用、「→」は批判的吟味の内容です。引用部分は一部カッコ書きで補足しています。)
・インフルエンザワクチンは打ってもかかるときにはかかる
→fluワクチンは重症化を下げるためのワクチンなので、前述しているBCGや天然痘と同等に論じることはできない。併記することはミスリーディングである。
・(新型コロナウイルスワクチンは)限られた治験とか臨床試験の範囲のこと(有効性)です。全世界に提供してみて95%減らせるのかどうかはわからない。
→新型コロナウイルスワクチンに関わらず、新薬については全く同様であるので、まるで新型コロナウイルスワクチンだけが特異的であるかのように論じているのはおかしい。
・単なる自然のエピカーブかもしれないのです。
→記事内のグラフは新規感染者数とワクチン接種率のグラフだが、その2変数間の推移だけでワクチン接種と新規感染者の因果関係を論ずることはできない。これまで各国様々な施策を繰り広げてきたので、「単なる自然のエピカーブなのではないか」という解釈には少々無理があるように思う。
・例えば、ブータンは接種率が60%を超えていて、モルディブは55%、モンゴルは50%といったところです。この3国について見ると、むしろ感染者数は増えているように見えます。(中略)単なるワクチン神話じゃないのか、という感じになりませんか?
→いずれの国もアストラゼネカ社 コピシールド(インド)製を使用している点に注意が必要である。アストラゼネカ社製ワクチンは、様々ネガティブな面が報道されており、この3国の推移が「ワクチンの効果が薄いため」なのか、「アストラゼネカ社製ワクチンの効果が薄いため」なのかを慎重に検討するべきであり、「ワクチン神話」と結論づけることはできない。
・人口比で見た新型コロナの感染者数や死者数が数十分の1~百分の1という大きな差です。アメリカやイギリスにおける新型コロナがゴジラだとすれば、日本など東アジアの国々ではライオン1頭くらいです。(中略)しかし、日本はもともと新型コロナの被害が小さいので賭けに出る必要がない。
→まず、将来的に日本が「ゴジラ」になる可能性をなぜ考えられないのか、その点を全く考慮せず議論することはあまりに危険である。記事冒頭、結核について言及しているが、こちらの論理に当てはめれば、「結核の罹患率も他国と比較してライオン1頭程度であるのになぜBCGを接種しているのか」という主張になるはずであり、論理の一貫性を欠いている。また、ワクチンの有効性・安全性については長期的な観点から批判しているが、ここでの議論は「現時点でどうか」という論点となっており、やはり論理構造が破綻していると思わざるを得ない。
・若い人は新型コロナにかかっても死なないのに、看護師さんとか実習に行く医学部の学生さんとか、ワクチン接種を断れない立場です。
→まず、「若い人は新型コロナにかかっても死なない」というのは「医療体制に余裕があり、通常診療の範疇で治療を行った場合、若い人の死亡率は低い」ということである。すでに若い人でも重症化している事例は多々みられているし、感染拡大によって医療体制が崩壊すれば、若い人の死亡も今の水準で推移するかどうかの保証はどこにもない。
また、実習や職場でワクチン接種を断れないという点は、新型コロナウイルスだけではない。コロナ禍以前から、B型肝炎や麻疹、風疹、水痘、ムンプス、季節性インフルエンザなど、接種が義務付けられている(抗体がついている)ことがほとんどであるため、新型コロナウイルスワクチンだけに当てはまる議論ではない。
・肺炎で日本ではお年寄りが毎年12万人死んでいる。毎月1万人、1日300人以上です。新型コロナも肺炎の一つです。(新型コロナウイルス感染という)肺炎の原因が少し上乗せされた。
→これはおそらく新型コロナウイルス感染による肺炎の診療を行っていないことによる発言ではないかと思わざるを得ないが、通常の肺炎と異なるのは、急激に病態が悪化したり、血栓等他の症状を呈するため、「通常の(誤嚥性肺炎等)肺炎の原因が少し上乗せされた」だけとは到底思えない。有効な治療法もないのである。通常の肺炎と同様に扱えるのであれば、なぜ医療機関の医師たちは「逼迫している」とか「疲弊している」と口々に言うのだろうか。
・新型コロナで1年半が経過して1万人しか死んでいない。そのように受け入れると、生活がすごく楽になる。
→(医療者とは思えない発言と感じたが、)現実1万人の方が亡くなっているのである。そして国民は不安を感じながら生活しているのである。「大丈夫、少ししか亡くなっていないから」と言われても、それが自分かもしれないし、大切な誰かかもしれない。医療というのは、基本的に数や割合の大小で投じる資源を変えるものではない。たとえ数が少なかったとしても、苦しんでいる、悲しんでいる人がいれば対策を講じるために全力を尽くすのが医療であり、医療政策であるはずだ。
全体を通して、一体何を伝えたいのか、着地点もわからなかった。「接種率データは多角的に見よう」と副題がつけられているが、多角的に見ておらず、むしろ自分の中にある前提でデータを解釈するという、科学的態度としては一番やってはいけないことをしているし、論理構造も破綻しまくっている。
まあ、思想や言論は自由なので、そういう人もいるよね、とは思っていますが。