もうお局に好き勝手言わせない!昔と今の看護を客観的に比較してお局と戦おう
いつの時代も、どの組織にも必ずいる厄介な存在。それが「お局」。
時代が変わり、人が変わっても、彼女たちが必ず口にする言葉。それは
「私たちが新人の頃はもっと動けていたのに、それに比べて今の子は使えないわね〜」
「私が妊娠・出産したときも普通に働いていたけど、今の子たちは恵まれているよね〜」
誰も幸せにしないこれらの発言や態度に対し、多くの若手、中堅ナースが忸怩たる思いでいることだろう。
言い返したい、でも感情同士の不毛なぶつかり合いで消耗してしまう…。
「今は時代が違うんです」と言い返したところで、結局「私たちの時代は〜」と水掛け論になってしまう…。
そんなときは、データでロジカルに論破してしまおう!相手が変わるかどうかはわからないが、ロジカルな反論のほうが周囲の理解もより得られるはず。
今日はそんな悔しい思いをしている看護師を少しでも救うべく(?)、昔と今の看護提供体制がどのように違うのかを客観的に概観し、反論するための武器を手に入れるために解説していこうと思います。
※「お局」と表現していますが、もちろんこのような厄介な男性看護師もいることでしょう。女性が多い職業ということもあり、今回はこのような厄介な存在を「お局」と形容させていただきます。
昔と今の在院日数の違い
まず前提となるのが、僕たち看護師がケア提供する患者の在院日数です。
厚生労働省 医療施設調査・病院報告によると、令和元年度の一般病床における平均在院日数は16.0日※ですが、お局たちが若手であったであろう25年前、平成8年の一般病床における平均在院日数は33.5日であり、25年前と比べ今の在院日数は約半分になっている。
※全一般病床の平均であるため、多くの新卒看護師が就職する高度急性期病院や急性期病院ではこれよりも数日短い。
この違いだけでだいぶ説得はできそうなものだが、お局たちはそんなに甘くない。なぜなら往々にして人は自分の過去を美化する傾向にあるし、お局たちはさらに実体よりも大きい尾ひれをつけてかつての自分を記憶している。
我々はこの前提をもとに、さらに強力な武器を装備して臨まなくてはならない。
在院日数の違いは日数の違いだけではない
在院日数が違うということは、ある期間の入院患者数が違う、ということになるが、それだけではない。
普通患者が入院すると、治療というイベントが入院初期にあり、その時は看護業務も増大する。
中期には患者の様態も落ち着き、徐々に看護業務は減少し、退院する頃に最も少なくなる。
この業務量の経時的変化を示したのが図1である。
先に確認したように、お局たちが若かりし頃は急性期治療を担う病院であっても患者は約1ヶ月入院していた。
治療開始の少し前から入院し、数日経ってから治療が開始され、治療が終わったあとも何故が入院が継続され、1ヶ月ほど経った頃に退院していたということになる(図2)。
ちなみに図1よりグラフの高さが低いのは、当然医療技術の進歩により治療イベントにまつわる看護業務も現在は25年前より多いためである。
このように、1人あたりの業務量の経時的変化を見ても明らかに今のほうが忙しいことがわかりそうなものだが、武器は強いことにこしたことはない。さらに複数患者で病棟の様子を見てみよう。
明らかに異なる業務密度
ここで、複数の患者について業務量の経時グラフを図3に示す。赤線が現在の状況、青線が25年前の状況である。
一目瞭然だが、明らかに現在のほうが業務密度が高いことがわかる。もっとわかりやすくするため、ある期間に同じ人数を受け持った場合どのようになるか、期間を区切ってみよう(図4)。
図4の赤枠で囲まれた部分に注目してもらいたい。赤線(現在)は計22名の患者が入院している。一方青線(過去)は計16名である。
期間内の患者数が異なることに加え、赤線(現在)では、治療終了直後に退院し、直ちに新たな患者が入院しすぐに業務量が増加している様子が繰り返されている。しかし、青線(過去)は治療前後に業務量が少ない期間があるため、次の業務量ピークまで期間が空いている。
これらの図からわかるように、たとえお局が「私たちは新人だったときも〇人受け持っていた」とか「新人でも夜勤で○人受け持つのは当たり前」と言ったとしても、重要なのは人数ではなく、業務の密度なのである。
25年前のように、入院直後や退院前の対してやることがない患者も含めての人数と、そうした患者が全くいない今の状況での人数は単純に比較できないため、上記のようなお局の発言はまったく的はずれな発言であることが客観的にわかる。
さらに付け加えておきたいのが、ICUの在室日数との関係である。
25年ほど前のICUの在室日数は約1週間程度であったが、今や1日か2日程度である※。つまり、お局たちが若かりし頃ICUで診ていたレベルの患者を、今では普通に病棟で診ているのである。
※施設によってICUの利用方法等が異なるため、公表されているデータは実態に即したデータではないと判断したため詳細データは割愛し、一般的な術後患者を想定した臨床的感覚での日数とした。
さすがのお局たちも、自分たちがかつて新人だったころ、病棟でICUレベルの患者を受け持つことはなかっただろう。今の新人看護師はその患者を病棟で受け持っているのだ。
患者背景の違い
さらに、患者の高齢化も大きな違いである。25年前の患者は、多くが60〜70代であった。しかし、今では60代といえば若い方である。
患者が高齢化すればADLも低下し、認知力も低下する。急性期病院といえど、介護施設の様相を呈している。
ADL、認知力の低下した患者が増えるということは、それだけ看護業務も多くなる。さらに分が悪いのは、もちろんADLや認知力は病気の治療で改善することもあるが、年齢的なことが原因である場合も大きい(=治療で改善しない)ため、実際は図1でみたような業務量は図5のようになる。
加えて、現在はさらに在院日数を短縮させる動きが加速しているため、患者が完全に治療が完遂する前に退院(在宅移行)し、次の患者がまた入院してくる。したがって、業務密度はさらに上がることになる。
基礎教育課程の違い
ここまで昔と今の業務量がかなり異なっていることを客観的視覚的に確認してきたが、今昔の違いはそれだけではない。
さまざまな違いは枚挙に暇がないが、大きく変化したことの一つとして基礎教育課程の変遷がある。
まず、昔よりも必要単位数が増加している。単純に、昔教育を受けた看護師よりも多くのことを学んで卒業しているのだ。
看護基礎教育の大学化に示されるように、もはや基礎教育は「卒後病院で働く看護師を養成する課程」ではなくなっている。「看護学」を学び、その中で臨床実践を学ぶという体系に変化しているのだ。
つまり、そもそも卒後すぐに「動ける」看護師を養成するという目的にはなっていないのである(その分「思考する能力」「根拠を考える思考過程」を重視している)。
そのことを裏付けるように、「卒後臨床研修制度」が努力義務化されており、基礎教育課程で学んだ知識や思考を実際に業務につなげ、仕事として看護が提供できるようになるためには臨床で教育しましょう、ということなのである(無論、基礎教育側が完全にその役割を放棄した、ということではない)。
「動けない」ことはむしろ当たり前であり、一人前の看護師にする責任は臨床の側にあるといっても過言ではない。そのため、新人看護師たちに文句を言うのは言語道断で、むしろお局含む先輩方が教育することが必須なのである。
このことから、先輩の側も新人教育を円滑に進めるための教育手法を学ぶ必要があるとも言える。「見て覚えろ」は成人教育的視点でも全くもって非効率であるし、少々強めに言うと、教育の責任を放棄していると言わざるを得ない。
妊娠・出産期にある方への対応
冒頭のお局の発言のように、新人看護師だけでなく妊娠・出産期にある看護師にも当たりが強いケースもよくある。
しかし、これまで見てきたように、そもそもお局たちが妊娠・出産した時よりも遥かに忙しい状況で働きながら今の若い看護師は妊娠・出産期を迎えている。
「自分たちはできた」とお局たちは豪語するが、状況がまるで違うため単純比較することはできず、本質的には「できていない」(=できる状況になかった)のである。
また、確かに制度は昔よりも充実している、という主張は的を射ている。だが、妊娠・出産期には体を労り、出産や育児といったイベントに対し最大限配慮することは、社会として実は当たり前のことなのである。昔が異常だったのだ。
これはあくまで私見だが、さまざまなストレス要因が存在する看護職が一般職と同様の制度であることを鑑みると、むしろまだ制度は不十分である。そもそも、この少子高齢時代においては出産や育児は歓迎されるべきであろうとも個人的には思う(もちろん職業人として最低限の義務を果たしていることも大切だが)。
まとめ
基本的に人間というのは年を重ねるごとに柔軟な考え方が難しくなり、自分自身の経験や知恵をものさしに物事を考える傾向にある。それを他人にぶつけるお局たちは非常に厄介な存在であると言わざるを得ない。
しかしこれまで見てきたように、昔と今では医療・看護を取り巻く状況があまりに違うのだ。
このように冷静に概観して見ると、自分(お局)と今の若手を単純に比較することが無意味であることがよくわかる。
ここまでかなりお局と呼ばれる方たちをディスってきたが、最後にフォローしておこう。数多の看護師がお局の世代になる前に離職している現実を見ると、間違いなくこの数十年間日本の看護を支えてきてくれたのはお局たちの世代なのである。さらに、かつてとこれまで状況が異なっているにも関わらず、今でも第一線で働き続けている彼女たちは、尊敬される存在であるといっても良いだろう。
ここまでお局たちと闘う(?)ことを目指していろいろなこと状況を見てきたが、本来は闘わずみんな(職業人として)仲良く仕事をしてくれることを切に願う。