2021.12.15 大学という場所

師走もすでに半分が過ぎ、年が明けると大学入試共通テストを皮切りにいわゆる大学入試が始まります。

僕は真面目に受験生したとは口が裂けても言えない学生時代を過ごしたが、気がつけば大学という場所で働く人になっていた。受験生の皆さんを4月にお待ちしています。

さて、日本の多くの高校生が血の滲むような努力をして入りたいと願う場所、大学という場所はどのような場所なのだろうか。大学教員として数年働いた中で自分なりの考えをまとめておこうと思う。

同業者以外の人に「大学で教員をしています」と話すと、今のところ100%で「何を教えているんですか?」と聞かれる。
このやり取りでいつもモヤモヤするのだが、大学とは第一義的に「学術研究を行う場」である。
さらに悲しいことに、大学で学んだであろう人、そして僕と同じ環境で学んだ人たちにすら、そのように問われることが非常に多く、大学進学率が向上している現代においてさえ、大学の最も重要なミッションである「研究」という側面が認知されていないのかと痛感させられる。

もっとも、この事例だけで大学の「研究」というミッションが認知されていないと判断するのはやや尚早な気もするし、大学における「教育」という側面を軽視しているわけでもない。ただ、これから大学に入学しようとしている人や、将来自分の子を大学に入学させようとしている人は、大学という場所は学術研究をする場所であることを認識してほしいと思う。

さらに、よく進路問題で話題にあがることだが、「〇〇学部に進学して何になるのか?」と問われたこと、あるいは問うたことがある人も少なくないのではないだろうか。そもそも大学は、前述のように研究機関であり、職業訓練場ではない。大学で学ぶことは、就職するためのスキルではなく、基本的に純粋に学問なのである1

つまり、「〇〇学部に進学して何になるのか?」「〇〇になりたいのにわざわざ〇〇大学に行く必要があるのか?」といった類の問いは全く不毛であるし、大学や学部の選択理由なんかは純粋に「〇〇を学びたいから」「〇〇大学で学びたいから」、それだけで十分だと僕は思っている。

大学という場所は、どんな大学であれ高校までとは比べ物にならないくらい多様な人で溢れているし、多様な人を受け入れている。その中で学問を学び、学問を創るための研究をし、仲間を作って現在や未来の社会について議論するその時間こそが、大学で学ぶことの意義であり、大学という場所の存在意義なのだと思う。

これから大学に進む人は、ぜひ様々なことについて議論できる仲間を見つけ、時間のある限り議論してほしいと思う。会話の中から多様な考え方に触れ、自分の考えをアサーティブに伝えるスキルを学び、想像力を膨らませてほしい。残念ながら僕は大学時代に(大学院時代も同じく)そのような仲間とほとんど出会えなかった。もし今大学生に戻れるなら、もっと積極的にたくさんの人と出会ったり話したりしたいと思う。

すでに大学を卒業した人も、振り返ってみてあの時の尊さを感じてみたり、かつての仲間ともう一度あの時のように話してみたりすると良いかもしれない。

決して僕は大学に入学するすべての人が学問を志せ、学術研究をしろとは思わない。資格のため、名声のためなど、それこそ多様な動機があっても良い、むしろあって然るべきだと思う。だが、少なくとも大学は「何かを教わり教育を受ける場所」というよりは、「新たな学問や学術的知見を創る場所」であるという認識は持っておいてほしいと思う2

最後に、僕たちの専門である医療分野においても、基本的には変わらない。免許教育という実践と密接に関わる内容の学修はあるのだが、大学でそれらの教育をする以上、ベースには学問や学術的知見があり、学修するスキルは実践的かつ将来の学問の発展を見据えた内容を教授している(つもりである)。

人間のとても大きな欲望のひとつである「知的好奇心」。大学という場所は、この知的好奇心を満たしてくれるとても魅力的な場所である3


1誤解を避けるために付け加えるが、大学を卒業した人はどの学部であれいわゆる「学士力」という社会で生きていく上で重要な能力が身につくはずである。ただし、大学を卒業した人が皆この能力を身につけているかどうかは別問題である。

2学部ではその領域の基礎を学び、最新の研究について触れることで、学問を創るための素養を身に付ける。大学院(修士課程)では研究の基礎を学び、過去の知見を批判的に吟味したうえで研究を遂行する基礎能力を身に付ける。大学院(博士課程)では、研究者のタマゴとして、自ら学術的な問題を設定し、問題解決のために科学的に妥当性の高い方法を選択したり研究結果を俯瞰できる能力など、自律して学問を創り切り拓く能力を養う。

3大学は知的好奇心を満たしてくれる場所だが、学ぶ人が積極的である前提がある。消極的・受動的な態度では、とてもつまらない場所になり、フェードアウトしてしまうか、長期的にみてつまらない/身にならないことにエネルギーを割くことになってしまう。

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