研究を知ろう:研究とは?

看護における研究とはなんでしょう?なぜ研究をするのでしょう?

看護系大学に進学している方、現場で研究をしている方、日常の看護業務を遂行するのに「なぜ研究が必要なのか」と思ったことはないでしょうか。

今回は特に、日本の看護界で一般的に行われている研究活動に焦点を当てて、「研究」というものについて解説してみたいと思います。

知恵を知恵だけで終わらせない

褥瘡予防に体位変換はなぜ重要なのでしょうか?そして体位変換の一般的な間隔はなぜ2時間程度なのでしょうか?また、看護職のストレスを軽減するためになぜソーシャルサポートやリーダーシップなどの環境的要素が重要だといえるのでしょうか?

こうした事実は、経験的な知恵の積み重ねの上に成り立っているわけではありません。

現在看護領域で有用だと考えられていることの多くは、研究という営みを通じて科学的に実証されているため、とある場所のとある人達だけに有用な”知恵”ではなく、頑健な”知識”として定着しているのです。

研究という営みは、こうした私たちが現場で感じている、あるいは経験している”知恵”を科学的手法によって”知識”へと変換させる活動なのです。

”知識”への変換に重要なこと

では、具体的にどのようなプロセスを経れば”知識”へと変換させられるのでしょうか。

これはなかなか難しい問いではありますが、ザックリいうと「多くの研究結果を網羅的に見たときに、一定程度結果の普遍性が認められたとき」です。

このことからわかるように、たった一つの研究だけでは科学的な知識とはいえません。たくさんの研究結果があって、その結果に著しい差異がなかったとき、”一般化された知識”として定着するのです。(これを科学的用語で「帰納的推論」といいます。)

そして”一般化された知識”は、ときに「理論」と呼ばれることもあります。

皆さんに馴染みが深い「看護理論」も、多くの看護現場での活動を記述し、科学的手法によって結果を示し生み出されてきました。

 

「研究」という営みが果たす役割

研究と聞くと、一般的になにか新しい薬を開発したり、治療法を開発したりといったことを思い浮かべるかもしれません。

しかし、ほとんど多くの研究はそうした世紀の大発見を求められているわけではありません。

特に看護領域で求められている「研究」という営みが果たす大きな役割は、

1.現象を記述すること

2.因果関係を明らかにすること

の2つだと思います。ザックリいうとふだん私たちが行っている研究活動は、基本的にこれらどちらかのことしかしていないのです。「そんなことしかできないの?」とか「そんな簡単なことでいいの?」と思われるかもしれません。そうです。まず知ってほしいこととして、研究活動はそんなに複雑なことをしている(求められている)わけではない、ということです。

しかしながら、「単純」なことと「簡単」なことは似ているようで違います。現象を記述したり、因果関係を明らかにしたりすることは、一見簡単なようにみえて実は難しく奥深いのです。

 

「現象を記述する」ということ

これは読んで字の如く、今起きている(あるいは過去に起きたこと)を科学的な言葉で記述するということです。これこそまさに簡単そうにみえて難しく奥深いのです。

例えば、「看護師のストレスには業務の忙しさが関連していた」という表現。これを目にしてどのような現象を思い浮かべるでしょうか?

ある看護師集団の忙しさを表現するのに、「業務が忙しい」というのでは不十分です。超過勤務が多すぎることを「忙しい」と捉える人もいれば、ケアが多すぎて「忙しい」と捉える人もいるかも知れません。看護師のストレスの原因となる要素や状況を記述したいのに、ストレスの原因が「業務の忙しさ」と記述されても、何によって忙しいと感じているのかがわからず、ストレスの原因を適切に記述できていないことになります。

ちなみに、「現象を記述する」という活動はいわゆる質的研究だけを指すものではなく、量的研究も現象を記述するために行われます。量的研究の場合、「何かと何かの関係性」を記述したります。

 

「因果関係を明らかにする」ということ

因果関係を明らかにすることは、現象への理解をさらに深めます。先ほどの看護師のストレスと業務の忙しさの例では、実は「看護師のストレスの原因は業務の忙しさだった」とまでは言えないのです。難しい話は今回しませんが、簡単に言うと、「現象を記述する」ことができるのは、厳密には「高いストレスを感じている看護師の多くは業務が忙しいと感じていた」ということまでしか言えないのです。

まだ少しわかりづらいですよね。つまり、「ストレスの原因が業務の忙しさだったののではなく、高いストレス状態にある看護師は(疲れやすいなどの理由で)業務を忙しいと感じやすいだけだったのでは?(=因果の逆転)」という批判には答えられません

この批判に答えるためには、現象を記述するだけでは答えられず、因果関係を明らかにするための研究が必要となります。

少し付け加えておくと、すべての研究が「因果関係を明らかにする」プロセスを必要としているわけではありません。例えば「タバコをたくさん吸う人と肺がんの罹患率に関連があった」と記述された場合、因果の逆転は想定されない(因果の逆転:肺がんに罹患したからタバコをよく吸うようになった)ため、因果の逆転を検証するための研究は必要としません。
※もちろん、喫煙と肺がんの因果関係をよりクリアにするために多時点での研究が計画されることはよくありますが、こうした研究は「因果の逆転を否定するための研究」ではありません。

 

「研究とはなにか」という視点から考える研究を行う上で大切なこと

繰り返しになりますが、研究活動は、一般化された知識(≒理論)を構築するために「現象を記述する」「因果関係を明らかにする」という活動です。

そのためには、適切な言語で、適切な科学的手法を用い、適切な分析を経て現象を記述することが大切です。昨今の看護系の学会に出て思うのは、ある現象を適切に表現できていなかったり、手法や分析が不適切だったりと、現場で起きている現象を記述しきれていないように思います。どんな小さな、些細なリサーチクエスチョンであっても、やはりそれらの適切性が担保されないと、”一般化された知識”は程遠いものになってしまいます。

また、どのような研究であっても無価値なものはありません。たとえ現場で行った看護の症例報告であっても、それがやがて新たな研究の種となり、発展していくかもしれません。そのためには、小手先の統計解析や質的分析を乱用せず、現象をありのままに記述し公表する誠実さが求められるでしょう

実際、学会に出席してみると、不適切な統計解析や質的分析によって現象の本質が見失われてしまっているものが散見されます。むしろ単純集計の結果や語りの生データを示してくれる演題のほうが現象への理解がしやすく、興味深い内容であることも少なくありません。
※余談ですが、これは研究をしている方が悪いというのではなく、研究について学習するリソースがなかったり、暗にそうした分析をしている方が”それっぽく見える”という環境的要因が原因だと思います。リサーチクエスチョンは興味深いものも多く、現場から離れている身としてはとても勉強になります。

まとめ

研究という営みは、一般化された知識(≒理論)の構築を目指し、科学的な手法・言語を用いて

1.現象を記述する

2.因果関係を明らかにする

ために行います。


いかがだったでしょうか。研究はけっして退屈な活動ではありません。ふだん私たちが行っている看護を振り返ったり、看護に対する患者の反応を確かめたりすることができるだけでなく、そういったことを適切な言語で表現でき、しかも一般化されたときの快感はひとしおです。また、皆様の研究が将来の看護学にとって重要な一石になることは間違いありません。これからも皆様の研究活動、そして看護が少しでも充実できるような情報を発信したいと思います。

 

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