ナースマン時代に印象的だったできごと5選
こんにちは。みなさんいかがお過ごしでしょうか。
これまで理論や知識の堅苦しい(つまらない?)記事が多かったので、今回は僕がナースマン時代に経験した、印象的だったことをい5つ思いつく限り書いてみたいと思います。これから新生活。新人看護師になる予定の方、新しく職場を変える方など、色んな人と共有したいと思います☆
では、どうぞ(^^)
1.メモをとらずに怒られた新人看護師時代
新人のときから僕はメモを持ち歩かない人でした。
理由はいくつかありますが、いちばんの理由は、新人時代に覚える業務や手技は、マニュアルやコンテンツとして病棟の中のどこかにすでにまとめられたものがあるので、わざわざそれを自分のメモに残す必要性を感じなかったからです。
基本的な手技は大学時代や研修でやっていましたし、何をするのか一度シャドーイングで見ればだいたい把握できた、というのも理由です。
そんな僕が異端だったせいか、プリセプターや先輩からよく、
「なんでメモとらないの!?」「メモはどこにいったの!?」「覚える気がないの!?」「患者から得た情報をメモしなさい!」
と何度も怒られました。
当時の僕は生意気だったこともあり、「必要ありません」「覚えていれば良いんですよね?」と歯向かっていました。
今思えば、こんな新人がきたら自分でもムカつくだろうな~と反省しています。笑
ですが、根本的には間違っていないと今でも思いますし、今新人になったとしても同じようにメモはとらないと思います。
この辺に看護教育の悪いところが見え隠れしているような気もします。
もちろん、メモを取ることで覚える人もいるでしょう。ですがみんながそうであるかは別問題です。結局はミスなくスムーズにケアできることが目標なのですから。
まったくメモをとらずにいて、まったく覚えていなかったらそのときに「メモをとったほうが良いんじゃない?」と指導するのが、その人にあった教育ではないでしょうか。
ともかく、これから指導を受ける立場になる人は、僕のように生意気に反発せず、「すみません。メモをとるよりしっかり見たほうが自分は覚えられるんです」などと当たり障りのない対応でかわしてくださいね。
2.何よりも終電を優先した準夜勤
僕の病棟は3交代制で、準夜勤は0時30分終業でした。病院から駅までは歩いて10~15分。最終電車は0時52分でした。
終業時刻ちょうどに病棟を出ると、なんとか間に合う時間です。
1,2年目は仕事も慣れず病院で寝て朝家に帰っていたのですが、3年めのある日、終業時刻ちょうどに終えたところ、終電に間に合うことができました。
それからは、準夜勤の日は何よりも終電を優先して仕事をしました。
忙しいときは休憩中に記録をするのは基本中の基本。電子カルテのログイン・画面切り替えの時間がもったいないので、経過記録用、温度板用、処置入力用と3台の電子カルテを同時に使用したりもしました。笑(ばれるとリスク委員に怒られるので、良い子のみんなは真似しないでね)
とにかく業務の効率性を追求し続けたのです。あきらめたらそこで試合終了です。
このように書くと、業務優先の心無い看護師に思われますが、「終電で帰る」ことを優先した結果、業務効率以外にいろいろなことが身につきました。
小児科にいたので、
- 患児がいつも寝る時間はいつなのか(すんなり寝てくれると業務が捗ります)
- 夕薬のナースコールが鳴る時間はいつごろなのか(前もってその時刻に配薬することを業務に組み込めます)
- 術後の場合はオペ後どのくらいで痛み止めが切れて痛がるのか(薬が切れ始めたときに訪室して早めに対処でき、患児も安眠できます)
- 全介助の子の排泄時刻はいつも何時ころなのか(不要なおむつチェックを避け出ていそうなときにチェックすることができます)
- 呼吸器をつけている子はいつもどのくらいの時間に痰が溜まってくるのか(排痰ケアを早めにすることで、想定外の時間帯に排痰ケアを行うことを避けられます)
など、その子の生活リズムをより深く知ろうとすることに繋がりました。
準夜勤の前半は面会の親御さんもたくさん来ているので、前半はお母さんたちと話すことをメインにして、ちょっとずつその情報を集めていました。
業務だけを優先すると、意外とこれらのことが疎かになって、結局時間がかかってしまうんですよね。
「終電で帰る」を追求した結果、患者さんのことをよく知ることができたのです。
3.歩く年休簿と呼ばれた5年目
小児科は患者の出入りが激しく、その数も一定ではなく波があったので、ふとしたときに病棟に余裕ができることがあります。
そんなとき、年休消化のためお休みをとらせることが時々ありました。
これまでの記事でもおわかりのように、僕は労務管理にうるさい看護師でしたし、リーダーで次の日の受け持ちを決めるとき、誰に年休をあげるかを師長と相談しなくてはならないこともあって、基本的にみんなの年休がどれだけ消化されているのかは把握していました。
(これだけでなく、病棟として年休がとれないとき師長や看護部と交渉もできますし)
「明日ヒマそうだから○○さんに年休あげよっか、リーダー続きで大変だろうし」
なんて安易に年休を付与されそうになったとき、うるさい僕が登場します。
「いや、2年めの○○さん、まだ△日しか年休取れてないからそっちが優先でしょ」
と口をはさみます。若手は自分で取りづらいですしね。
そんなやりとりを日常的にしていたら、いつしか歩く年休簿と呼ばれていました。笑
ちなみに、先輩や上司とこのようなやりとりを対等に行うためには、普段の仕事態度と関係づくりが非常に重要だということも学びました。
すべては自分の意見を通すため、振られた仕事は断らずにやっていました。
「この前仕事受けたので、今度はこっちの意見、聞いてくれますよね?」と暗にアピールするのです。性格悪い。
4.必ず誰しもが経験する、耳から離れない「音」
病棟に配属されてしばらくは、病棟の「音」が耳から離れない、そんな経験は誰しもがしているのではないでしょうか。
僕のいた病棟は、モニターをつけている方が多かったので、家に帰ってからもモニターのアラーム音が耳から離れない、ということがしばらく続きました。
それに悩まされることはなかったのですが…僕がいたのはそう、小児科。
病棟のいたるところで教育テレビの音が流れていたのです。
この「音」にはけっこう悩まされました…笑
おかあさんといっしょのオープニングや、うたのおにいさん・おねえさんの登場シーン…だいたいみんなDVDで繰り返し見ていたりするので、どんどん頭に刷り込まれていきました。気がつくと口ずさんでいたり…汗
おかげで新規の入院患者さんとの会話がスムーズになりましたね。笑
5.今でも尊敬できる先輩との出会い
3年目頃から、「看護ってなんだろう」と悩むようになりました。業務は一人前にできるし、インシデントもほとんど起こさない。
でもどこか不全感がありました。
そんな僕に、業務ではなく、看護とはなにかを教えてくれた尊敬できる先輩方に出会いました。看護の本質は何なのか、日常の看護で何をしてどこに着目する必要があるのか、看護のゴールは何なのかなど、いろいろなことを教えてくれました。
彼女たちにいろいろなことを教えてもらわなければ、僕は看護を嫌いになっていたかもしれません。
今でも尊敬していますし、感謝しています。先輩たちとは、今も1年に1回位集まって食事会をしています。
研究者として、教育者として歩みだしている僕ですが、この出会いがあったおかげで、看護に対して真摯に向き合うことができていると思います。
臨床は辛いこと、大変なことばかりではありません。こうした現場に根ざした出会いがあることは、かけがえのない経験だと思います。
いかがだったでしょうか。現場で経験した印象的だったことを紹介してみました。
臨床経験では、ほんとうにいろいろなことを経験できます。ここで書けない面白いこともたくさんあります!笑
今度は小児科で経験した、ビックリする親御さんとの経験を書いてみようかな!みなさん興味ありませんか?小児科の親御さん。。。面白いですよ(^^;)
時間があれば書いてみたいと思います。ではまた!
※このチェックリスト、新人時代に使用していました。包括的に技術チェックできるので、便利だったなあと今思えば感じます。ぜひ手にとって見てください。